忍者ブログ
サン・アンド・スターズ・ザ・ウェッブの情報発信地。
[408]  [407]  [406]  [405]  [404]  [403]  [402]  [401]  [400]  [399]  [398
 
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

多少キーボード打てるようになったので、
先日の【バスに乗って】のあとがきをもうちょっと真面目に書いた。なげぇ。

読み飛ばし可。

///

ちゃんとしたあとがき……

一か月くらい前だったか、TwitterでRTで回ってきたツイート。
どんなのかもう完全に忘れてしまったけど、
「否定マンいるよね」みたいなことだった。気がする。

否定マンっていうワード……
キャッチー杉、それだけで漫画描けるわ、と思った。
で、描いたのがこれです。

ふとした瞬間に、自分も否定マンになっていることに気付く。
誰かの第一声から否定しそうになってしまったり、
ニュースに「またか」ってうんざりとして、
ろくに見もしないで
「どうせ、こんなんでしょ」と決めつけてしまう。
そのほうがラクだ。
肯定するよりよっぽどラクだ。

そんで、そんな否定マンの口から、
次回は「否定マンディスり」の言葉が出る。
自分が否定マンになってるなんて気付かない。
そのほうがラクだ。

肯定マンから否定マンへの変身、つまり、
モグフママンになる過程はさらに恐ろしい。

それなりの時間がかかるし、
完全に前提が、
「好きだから」なので、
すごく正しいっぽいのだ。
これも、まるで気付けない。

率直に言うと、
私自身はあんまり不満がちな人間ではなく、
猛烈に不満を吐きだしている人を見ると、
あ、そうか、そう言われると
そこんとこ不満だな、とか気付く。
愚鈍さを恥じ入り、視点の面白さを知る。

不満は気付きでもある。
気付きなくして次には進まない。
ただし、それは、
主語を自分に持ってくる場合に限る。

不満のない人生。
凪は平穏だが、
風が吹かないので船は進まない。
ゼロからピクリとも動かない目盛りは、
一生をかけて観察する必要はないだろうし、
誰も赤ん坊のままではいない。

好きなものを、
好き「だった」ものにするのは、時々すごくつらい。
もうこの世にないものを愛している可能性に
相対しなくてはいけない。

だから、積極的にはさみで切ろうとはしない。
文句を言いながら愛してるほうが、ラクだ。
でも同時にすごく苦しい。
愛憎入り混じる。
ラクだけど苦しい。
余計に苦しい。

手を離してもいいと思う。
でもなかなか一度つないだ手は離せない。
だから、変わってしまったものを
また変えようとして、
足掻いて沼により沈む。

手を離すのが愛情なのか、
つないだままにしているのがそうなのかは
……どうだろう。


私が「否定マン」を
気に入った理由の一つは、POPだからだ。
軽い。
誰しもなりうる追い詰められた精神状態、
余裕がなくてピリピリして嫉妬深くて
他人の幸せを喜べない状態を、
「否定マン」という言葉にしてしまえば
あはは、と笑うこともできる。
お前、超否定マンじゃん、ウケんわ!
と、笑うこともできる。
そこから何か変わることもある。

いや、
沈んだままも乙だけどね……(どっちなん

おわり。

拍手

PR
 
powered by NINJA TOOLS // appeal: 忍者ブログ / [PR]

template by ゆきぱんだ  //  Copyright: サン・アンド・スターズ・ザ・ウェッブログ All Rights Reserved