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長いです。

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+ + + + + + + + + +
都内はどこも節電で
コロコロするカートで行ったけど
そうするとそれを抱えて階段をのぼりおりすることになり
これは。
なんとも。




富士山。
静岡とか山梨にある。

新幹線に乗って大阪に向かった。
腰が痛かったらどうしようと思っていたけど幸い調子良かった。
いつ乗っても新幹線はいい。
なんでかワクワクする。
理学療法士さんに言われた通り、足元になんか置いてその上に足を置こうと思ったけどなんもなかったからしょって来たリュックを置いた。女子力低い。靴は脱いだ。

隣のおじさんが、お弁当を食べる前に十字架をきっていた。

浜名湖がでかい。
富士山の写真をとりまくった。

あっという間に名古屋に着いて、あっという間に京都に着いた。
たぶんあっという間じゃないが
前回この新幹線で博多まで行ったのが
猛烈に長かったので
それに無意識と比べると
短かったのだ。


京都に着いてどうしようというビジョンが全く無かった人間が
京都駅にいて
どうしようかと。
まずはちょっと構内を右往左往してみた。
しかも萌子に連絡しても返事がない。

数分考えたあと、一人で駅近くを観光することにした。
まずコロコロカートが邪魔なのでコインロッカーにお金を吸い込ませた。
どっかに観光案内所があるだろう、と思ったらすぐあったのでこれ幸いに

「今から二時間か三時間くらい駅の近くを観光したいんですけど、何かいいとこないですか」
「時間ないですねぇ」
まあそう言うない
応対してくれたおじちゃんが関西弁(大阪弁? 京都弁??)で、はやくも関西気分を味わう。

地図をくれた。東本願寺というところが近いらしいので、そこへ行くことにした。
特にそのお庭のショウセイエンというところがお勧めらしいが、もうあと数十分で閉まるから急いで行けといわれた。

駅から一歩出た途端猛烈な熱気が。
今日は確かに、関東も暑かった。でもこんなもんじゃない。
出掛けに帽子を持っていくか迷って持ってこなかったことを悔いた。
しかも日傘はコロコロカートの中だ。悔いた。

とりあえずテンションがあがって、駅の写真と京都タワーの写真を撮った。
京都タワー。
親戚のおねえさんが転勤で京都に行き、
生粋の東京人だったため、どうしても京都になじめず、
今では京都タワーを観ると吐き気がするという。
そんな話で知った、京都タワー。
近未来的なデザインである。

直進。

暑い。

修学旅行生に混じって、直進。
タクシーがたくさん目に入る。初乗り料金が東京よりぐっと安いぞ。
これはいざとなったら乗れるな、と考える。

人が多い。
こんなに人が多いけど、この町には知ってる人が一人もいないんだぁ、と思う。
ちょっと気楽だ。
なんか厄介ごと起こしても大丈夫だ、大丈夫じゃない。

すぐに東本願寺に着いた。
えれーひとだ。
あまりに人が多くて、私は、人の写真を撮った。
なんかのツアーの人っぽい。みな、熱心な仏教徒の感じで、なにか宗教的な香りがして、とても尊い感じだ。完全に、私は浮いていた。
残念だがすぐ立ち去ろうと思った。
あとから訊いたらつい数日前までいのうえたけひこの展示会があり、萌子も来たという。
何故私が来るまでやっていなかったのか疑問である。

東本願寺を空振りして、ショウセイエンに行くことにした。
右を見ても左を見ても 作務衣専門店 法衣専門店 数珠専門店 など 面白そうである。
地図を全く見ずに まあこっちだろう、と思って歩いていたが、幸いあっていて、ショウセイエンにすぐ着いた。
今度は空振りじゃないといいのだが。

入り口で拝観料を支払う。どこからお越しですか、と言われて、一瞬、うそをつきそうになった。こういう不誠実な人間にいつからなったのか。

順路に従って入ろうとすると、静寂の支配する日本庭園に不似合いな電子音が鳴り響いた。
オレのケータイだ。
萌子からである。あとで落ち合う約束をした。



気を取り直して庭園に侵入する。
いろいろあったのだが写真は割愛。
自然豊かな日本庭園であった。
途中から、「この写真、いつかゲームで使えるかも」という視点で写真を撮ってしまった。
ここは東本願寺に来た客人をもてなすところだったそうだが、
こんなところで迎えてもらったらさぞかし感動しただろうな、と思った。

観光終わり。暑い。持ってきたお茶を飲みきってしまったので自販機でポカリを買った。
京都駅に戻って、待ち合わせの駅に向かった。

~電車~
電車料金が高い! ・・・高いんじゃなくて、東京が安いのかも。

萌子と会う。
おお・・・
今月三度も会ったのだ。これはシンジラレナイ。

このあと、クロッキー会に一緒に出ることになっていたので、会場へ向かった。
この旅の間、
萌子を介して様々な人を紹介していただき、
それぞれ素敵な出会いだったのだが、
書いていいものか迷うのでその辺は一応書かないでおく。

クロッキー会に出るのは実は初めてだ。
今年の初め、出ようと思ってクロッキー帳を買ったのだが、
申し込もうとしていたクロッキー会が流れてしまったりしている内に大震災があり、
その後は精神的に落ち込んだままコミティアに向けて漫画を描き始めたりして、
機会を失していた。

殆ど何も描いていないクロッキー帳を広げた。
モデルさんが到着し、いよいよ開始だ。
最初はなかなかペースが掴めず、また、絵のタッチも安定せずに苦戦したが、
段々描けるようになっていって、とても楽しかった。
画材も色々とりかえ、楽しく描いた。
後半はパワーが切れた。改めて、絵を描くということは体力が要るんだなぁ、と思った。
あと、やはり、人体というのは在るだけで美しいのだ。

描き終わったあと、みんなで見せ合う時間があり、
十人十色のクロッキーが面白かった。
一枚ごとに面白い発見があり、いちいち感想を言っていたら、
相槌とか感想が上手い、と参加者のおじさま方に笑いながら言われた。
もしかして私というのは変な人だろうか、とちょっと考えこんだ。

萌子はやっぱりすごく上手かった。上手いだけじゃなくて、一枚一枚がイラストとしても完成度が高い、面白い絵になっていた。遊び心がある。

クロッキー会のあと、アイスをおごってもらい英気を養ってから、明日おこなうライブのリハーサルをやることになった。
アレはいける、これはダメ、ここはこうする、コードの確認を、などなどとしていたら、あっという間に12時近くになっていた。へとへとだ。

タクシーで帰る。久しぶりのシータク。車内はエルシャダイの話題で盛り上がった。
その流れで、エルシャダイをともにプレイし、就寝。

ぐーぐー

朝!

今日は萌子さんはお仕事なので、その間 私は一人で京都観光の予定だ。
大丈夫だろうか。
名所をしらなすぎる。
勿体ない観光にならないといいのだが。

京都ガイドブックを二冊貸してもらい、ぱらぱらーっとめくると、
ぱっと、南禅寺に心惹かれるものがあった。
いつかテレビで観て、この庭を実際観たいと思った気がする。
また、南禅寺の近くには他の名所もいくつかあるようなので、あとは適当でもなんとかなろう。

光の速さで本日の予定が決まった。レストランでメニューも迷わないし、こういうところは自分の好きなところだ。

入念に、萌子と本日のライブのリハをしてから、いざ出発した。

電車の乗り継ぎもスムーズにいき、蹴上駅というところで降りた。
山がちな場所である。
当日はやや靄がかっており、肌寒い気がした。
今日の私は半そでである。上着を持ってきているとはいえ、失敗したかなあと思った。
失敗したかなあと思うと落ち込むので、成功してることも考えた。
成功したのは、他の全部だ。だからよい、ということになった。大雑把な人だ。

南禅寺に向かう途中の普通の道でも、既に情緒に溢れ、
ウグイスがしきりに鳴いている。
私は感動し、ぱしゃぱしゃと写真を撮った。

十日ほど前に唐突に決めた京都・大阪行きが、こんなに良いものでいいのだろうか?
こんなにいい景色を見ているのが私一人でいいのだろうか。
そんなことを思っていた。



南禅寺に着いた。なんの目的もないので、目に入った気になったところへ入りまくる。
修学旅行生もまばらで、あとは殆どが外国人観光客である。
日本人の旅行の季節を外していたのが幸いだった。
あちらこちらから英語が聞こえてくる。日本人で、ガイドのバイトをしていると思われる大学生も多かった。みんなぺらぺらである。



これは水路だという。
レンガ造りで、しかもオシャレだ。
これは、西洋建築に負けないよう、オシャレに気を遣ってデザインされたもので、百年以上前のものらしい。
当時はピカピカでハイテクでハイカラだったろうから、風光明媚な南禅寺とは似合わぬものだったかもしれない。
しかし月日が、すっかりこれらを馴染ませてくれて、今ではこの有様。
デザインした人には、これが見えていたのだろう。


お寺でおみくじをひこうと思ったが、誰もいない。
よく見ると「御用の方はこちら」とインターフォンがある。
やや勇気の要る選択だったが、押した。
・・・・
誰も出ない。
もう帰ろうか、と思っていると
「ふぁーーーーい」とおじいさんの声が聞こえてきた。
「おみくじおねがいします」と言うと、「ふあーーーい」と聞こえてきた。
・・・・・
誰も来ない。
初めにインターフォンを押してからたっぷり三分は経ったと思われる頃、住職があらわれた。
「ふって」気がつかなかったがおみくじは目の前にあった。
じゃらじゃらと振る。
「もっと!」
も、もっと振る。
「もっともっと! こう、横にして!」
スポーツの監督並みの指示に、従わざるを得ない。
「もっと!1!」
住職の指示が続いたが、もういいやと思えてきたので、もう、ひいた。

「はい」
吉だった。
難しい言葉で色々と書いてある。
ふと「わからぬときは解説します」と書かれた張り紙が目に入る。
住職は待機している。
いかにも解説したそうである。
プレッシャーを感じた。
意を決して、私は、
「ありがとうございました」とだけ言い、意を決して立ち去ったのだった。
住職の視線が背中に刺さった。

みくじは、言ってみれば、「大体いいけど、あなたは、心得一つで善きことも悪事となり、悪しきことも善事となる」と書いてあった。
私はおみくじが大好きで、あちこちでひきまくっているのだが、
これが、大抵のおみくじに書いてある。
いつかこれがピンとくる出来事が人生のターニングポイントとなるのかもしれない。



心から要らないのに欲しくなるこれを記念と呼ばずしてなんといわんやメダル

南禅寺の中に向かった。
拝観料が高い。・・・相場は知らないが。もしかしたら価値から考えると安いのかもしれぬ。
中へ入る。
だって、たとえば、私が二百年昔に生まれていたら、生涯、ここへ入ることはなかったろう。
いい建物だ。
ひんやりと涼しい空気が流れている。
だからそう考えると安いのかもしれない。
しかしその考え自体が頓珍漢な気もする。

とりあえず柱にそっと触る。
710年に南禅寺はできたらしい。
この建物自体は明治42年に再建されたものだというが、それでも百年前だ。
百年前の人は何を考えてこの柱に触ったのだろうか。
木は表面が磨り減り、すべすべとしていた。

襖絵を観る。
狩野探幽が描いたもので、国宝だという。
水呑の虎、というものが一番印象に残った。
四百年ほど前に描かれたものだ。年月を感じる傷み方だった。
絵は、修復したほうがいいのだろうか?
修復されることを前提にした絵というのはあるのだろうか。
これを描いた彼はどうだったろうか。
そもそも、こんな何百年ものちに残り観られていると考えただろうか。
虎は実際に見たのだろうか?
それとも想像なのだろうか。
虎は猛々しかったが、顔がどこかユーモラスで可愛くも思えた。
しかし大きく剥いた目は、やはり恐ろしく思えた。
少なくとも、「これと全く同じ場面を見て、これを描こうと思った」わけではないだろうな、と思う。
ならばこれは想像か。
ほかの襖絵もみなそうだったが、まるで異空間だ。
この世の法則がこのふすまの世界には通用しないような気がした。
現実感がない。
それは勿論、緻密でないとかそういう意味ではない。
ここには別の法則で動いている世界があるな、と思ったのだ。
絵としては、とても大胆だった。
自信がなくては、こんな絵は描けないだろうな、と思う。
評価や、是非や、有無を受け付けない存在に感じた。
なんともいいがたい。

襖絵をじっくり見て、ふと現実世界に戻ると、金髪の紳士がにこやかに語りかけてきた。
「きゃにゅていくぴくちゃふぉあす?」
勿論、写真を撮る、シャッターを押すのはかまわないのだが。
ためらいなく英語で話しかけてくる紳士に、私は、
英語ェ・・・と、英語に対するゆるぎないはてしない自信を感じるのだった。
いや、外国の人に平気で日本語で話しかける日本人だっているから、それかもしれないけどね。

おうけい、と答えると、紳士ははっきりとわかるホッとした様子だった。
その時間は、私のほかには、見るからに幼い修学旅行生しかいなかったので、頼めなかったのだろう。

写真を撮ると、一応、「わんもあ!」と言い、もう一枚撮った。変顔・目つぶりの保険である。デジカメでは必ず二枚撮ると決めているのだ。
はい・ちーず!を英語でなんていうかくらいは知っておけばよかった。
紳士は「アリガットウ」と言ってきたので、「はヴぁないすとりっぷ」と言った。
この日は他にも、シャッターを頼まれた。
いずれも英語であった。
外国人率が体感で七割を超えていた。残りいってんきゅうわりが修学旅行生であった。そんな中、明らかに一人旅の私には声をかけやすかったのだろう。

それから、南禅寺の庭を見て回った。



六道庭という小さな庭が、一番気に入った。↑この写真の庭ではない。
途中から、写真を撮るのをやめたので写真がないのだ。

六道庭。これは、解説によれば、

「この「六道庭」は六道輪廻の戒めの庭です。(中略)煩悩に迷い、涅槃の境地に達することなく六道を輪廻する我々凡夫のはかなさを想わずにはいられません。」

とのことなのだが、
深々と生したコケに埋もれるように、平たく低い石が転々と配置されているさまは、
確かに、凡夫の魂が集まり、一つの波となって流されるままに生きているのを、その上から眺めているかのようであった。
しかし、流され、迷い、悩み、苦しむ人々の流れ(すとりーむ)が、
何かとても価値ある、愛しいものに思えた。

達磨大師の「不識」の逸話からとった不識庵といういおりも面白かった。
確か、帝に「あなたは何者か」と訊かれた達磨が、「不識(知らない)」と答えた話だった気がする。
すごく小さい頃、夜寝る前にいつも、自分の目で自分が見れないことについて考えていた。
自分の背中は自分で見れない。鏡に写った自分は違う人間のような気がして、一生、死んでも、自分の目で自分を見ることができないことを、何故かとても悩んでいたのだ。
鏡に写った自分を描写し説明することはできても、自分というものに直に向き合い、それを説明することとは。
言葉にするほどに逃げるようであり、内なる旅の難解さと「鏡見たほうが早くね?」感を煽る、この「不識」という逸話は、いつもこんなことを思い出す。

仏教の教えが他にもいくつか書いてあり、どれも面白かった。
大人になってから来て良かった、と思う。

最後に、滝を見ながら抹茶をいただいた。
その時間は私しかおらず、明かりのない暗い室内から見る滝は、曇り空とはいえ明るかった。
誰かいて、横で、「滝ってマイナスイオン出てるからいいんだよね」とか言われたら台無しだったので、自分だけで良かった。
いや、台無しもきらいじゃないが。

南禅寺終わり。
門の前で写真を撮ってもらおう、おじいさんにカメラのシャッターを頼むが、シャッター切れてなかったよおとうさん。
デジカメがいけないのだ。
デジカメの設定を、「シャッター音あり」にすぐさま変更した。

さて何の予定もない。

看板地図をじっと見ると、近くに哲学の道があるという。
お寺はおなかいっぱいな気がしたので、歩くことにした。
あちこちに看板があるので、全く迷わないで済む。ありがたい話だ。

哲学の道は、学生の頃修学旅行の自由行動で歩いたことがある。
しかし歩いていたら、向かいから仲の良かった友達が泣きながら走ってきて、
わけをきいたら 同じ班の友達とケンカしたという。
そのため、その後はその子を慰めながら歩いたので、つまり、そういうことだ。

歩き始めた。
だーーーーーれもいない。
独り占めだ。
たまに、向かいから人が来る。
殆どが外国の人だが、みな一様に疲れた顔をしている。歩き疲れたのだろう。
誰かに写真を撮って欲しかったが、頼める人がいなかった。

哲学の道で撮った写真。



なんかこれ、ナニコレ珍百景で見た気がする。
この先に喫茶店があるかどうかの確認は忘れた。インパクトが強い。



猫。
まるで絵みたいだ。
読経が聞こえてくるなか、くつろいでいた。






うぐいすの声がしきりに聞こえる。
いいところだなぁ。
歩くのが好きなので、とても楽しかった。
京都風情がかなり極まった。



途中、近所の小学生の女の子とすれ違った。
思わず声をかけて、写真を撮ってもらおうと頼んだが、
「知らない人に声をかけられても無視」と教育されているかもしれないし、
一瞬で色々考えた。
幸い女の子は、はにかみながら写真を撮ってくれた。
ありがとう、ありがとう。


哲学の道の終着点は銀閣寺だ。
昔来たとき、銀閣寺には時間の都合で行けなかった。
今回は行ってやろう、と進むが、とにかく人がすごい。人気スポットなだけある。
殆どが修学旅行生で、騒がしい。
道の両側はお土産やさんで大賑わいだ。
何か買おうかとも思うが、荷物が増えたら面倒なのでやめた。
学生の波、というのが別段きらいじゃないので、ふわふわとそのなかを漂いながら進んだ。
しかし、甘かった。
入り口で、お札代と称して入場料金を支払うところで、長蛇の列が。
ここまできて?
と自分でも思ったが、
すーっと気がそれて、
銀閣寺に入らずに出てきた。
縁が無いのだろうか。多分根性が無い。

休もう。そう思い、近くの喫茶店でオムライスを食べた。
なんとも言いがたい味だった。
もし、言い値でよければ、
ぼくは。
なんえんだしていただろうか。
禁煙席なのだが、店主のおじさんがタバコを吸い始めたので無価値だった。
そういうこともあるよねー。

帰ろう。雨も降り始めた。

ケータイで現在地を確認し、歩いて行ける場所に駅は無いか探る。
なんとか歩いていけそうな場所に駅を見つけたので、
適当に歩き始めた。
行き当たりバッタリ感がはんぱない。

疲れたらタクシー乗ろう、と思いながら歩いていると、
バス停の近くで観光客の人が地元の人に道を聞いていた。
声が聞こえてきた。
ここに来るバスは、京都駅行きで、もうすぐ来るという。
よし、
それに乗ることにした。
行き当たりバッタリ感がはんぱない。

幸いすぐにバスが来て、なんていうことはない顔をして乗り込む。
関東ならパスモでバスも電車も乗れて便利だよなぁ、と思いながら小銭を用意する。
日本全国で使えるようになるとありがたいのだが。

京都駅まではそこそこ距離があるようだ。
途中、かの有名な鴨川を通った。
観光気分マックス極まれり。

「つぎはー、かわらまちなんたらー」

ん?
そういえば、行きに萌子が、
カワラマチ駅だったら、電車で近いと言っていた気がする。
ケータイで検索すると、乗り換えなし帰れるようだ。
このバス自体は
カワラマチ駅には行かないようだが、
地図で検索すると、
この辺りのバス停で降りれば歩いて行けそうな距離だ。

よし。
降りよう。
行き当たりバッタリ感がはんぱない。

何度目かのかわらまちなんたらで、なんのことはない顔をして降りる。
はて、ここはどこだろう。
辺りを見渡す。
大きな町だ。
ちょっとだけ中野っぽい。
若者が好きそうな店がたくさんある。
ふらふらとアジア雑貨の店に入ったりした。

丸井を観ていると萌子から電話があり、帰ってきてくれというので、帰ることにした。
ちょうど雨が本降りになってきた。
幸いだったなぁ。

こっちだろう、と思って歩いているとすぐに駅があった。
今回は全く道に迷わなかったし、
乗り換えも全部スムーズだった。
運が良かったのか、
私が切れ者なのかというと、
これはもう
後者である。

電車の中で、阪神が巨人にまけたという話を聞きながら帰る。

さていよいよライブなのである。
本番まで一時間半だ。
本気のリハが始まった。

特に私のピアノがやばい。
こっちに来てから弾くことが決まったからだ。
ピアノは子どもの頃数年習ったが、先生が厳しくてやめてしまった。
いや、私が不真面目だったのだ。
練習してこないのを毎回怒られた。ピアノは大好きだったが、練習がいやだった。
そんでやめてしまったが、ピアノは大好きだったので、実家にいる間は毎日のように弾いていた。
でもそれも数年前の話で。
鍵盤に触るのが久しぶりという状態で、自分が作曲した曲とはいえ、弾くというのは。あわわ、あわわわ、あわわわ・・・

19時から開始の予定だったが、リハがおして、19:30から開演となった。

ギターを弾いたり、ピアノを弾いたり、笛を吹いたり、タンバリンを叩いたり、歌ったりした。

ライブはたっぷり一時間半くらいやっていた。
私の自作曲を中心に、
jPOPやらをやったりもした。

来てくださったお客さんと話したりして楽しかった。
準備期間が一週間ほどと短かったが、
「やれるのをやる」という方針があたり、
小事故こそあったものの
大事故もなく
何とか無事に終った。



演奏や歌うことでせいいっぱいで、表現とかを考えてる余裕がなかったので、
もしも次回があるのなら、もっと余裕をもってやりたいものだ。
歌や音楽は、ただ「やってる」だけで今のところ精一杯で、
クオリティとかスキキライとか考えるところになかったのだが今回、
ライブを録画したヴぃでおを自分で観て、
「まあまあ自分もやるじゃん」と思えたのが良かったかな。

ライブが終わり、
来てくださったお客さんと色々話した。
楽しかった。
またやれるといいな。

それから、似顔絵を描いた。
似顔絵といっても似せて描く絵ではなくて、
私の日ごろの絵柄のままで、
その人をキャラクターにして描くという感じだ。
本人を目の前にして描くので、そこそこ緊張する。
しかし大方、喜んでもらえてよかった。
この旅で四枚描かせてもらい、お金をいただいて、大いに旅費の足しになりました。
積極的に営業かけてくれた萌子に感謝。

帰宅。(萌子宅に。)

打ち上げということで、お客さんに戴いたお酒をあける。(萌子が。)
私は残念ながら酒が一滴も呑めないので、代わりに呑んでもらう。
開放感。
適当にパソコンしながら雑談して、のんびりした。
ライブへの緊張感で、しばらくのんびりできなかったので。

就寝。

よく寝た。

今日は台風だ。
こんにちは!!

萌子の部屋で、中学生のときとかに描いた漫画を見せてもらった。
いい意味で、今とあんま変わってないものを感じる。
そういう意味では私もそのタイプかも。
今でも現役のキャラがいっぱいいて、ルーツを見た気がして おお・・ってなった。
萌子は「次はリュウセイさんの過去漫画を見な」とニヤリと笑ったが、
私の実家の魔窟よ。
おお。
恐れを知らぬ勇者よ。おおお。
こわいこわい。

バスに揺られて駅に行く。
今日も似顔絵を描く。
絵ってこんなに疲れるんだなぁ、って思う。
もっと絵描いてお金もらえ、とはっぱをかけられる。
うん、うん。

そろそろ帰らねばならぬ。
色々あった二泊三日であった。
全面的に深く、萌子には感謝だ。
色々誘ってもらえたりして有難かった。
こっちに来たときに大したことはでけんのに。おお。おお。涙。

この旅では、
絵や音楽やゲームや創作が好きな人にたくさん会えた。
私の日常生活は、
ほんとに日常生活で、
アート的なのは自分しかいない。
ほんとは埋もれてて気付かないだけかもしれない。

最近、
アートと共に生きることがアーティストじゃないか、という話を
してくれた人がいた。
きたのたけしは
アートすると言うことそのものがアートだと
「アキレスと亀」で言っていた。

わかるようでわからない。
わからないようでわかるかもしれないし。

帝が尋ねました。
ああととはなんぞ?
達磨大師はこたえました。
不識。

家に帰ろう。

ここまで読んでくれていたら、有難う。
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