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【創作漫画】暑さに負けず会話する漫画を描いたので読んでください。↓https://t.co/y6BaOz3Vcs#僕トモ#僕とトモダチの果てしない話#拡散希望 #感想言っていいのよ pic.twitter.com/LhpJ4JzV0h
— リュウセイ (@boku2mo) 2018年8月28日
僕トモ更新してました。
それについて解説と、頂いた感想にお返事します。
///セルフ解説~誰もしてくれないからセルフで~///
漫画を読みながら解説していくので良かったら一緒に読んでね。
今回サブタイトル画像を作らなかった。もうええかなと思って……あとめんどい。
一応サブタイは「カメレオンの悩み」。
ミホちゃんと別れてかれこれ一年? もっとかな。
新しい彼女ができたのか、できてないのか、冒頭から告白もどきを受けるヨシトくん。
ヨシトくんは男の子(トモダチ)にも女の子にもモテるし常に誰かと会ってる心の寂しさを抱えてる人、みたいな感じなんだけど私が上手く描けてなくて単にスケコマシみたいになってる
— リュウセイ (@boku2mo) 2018年8月29日
創太くん初登場。
これまでは話題でだけ時々出していた。ヨシトくんの親友。
創太はいつも変な服を着ている。頭は天然パーマをいかしたカーリーヘア。そしてちょび髭。
ヨシトくんの大学時代の同級生。
これ解説でもなんでもないな。
創太いわく、怜央化してきたヨシトくん。
「おにーちゃん」と言ってるのはヨシトくんの年の離れた妹、ミッコちゃん。高校生。
鈴木クン~と言ってるのはセキさん。お仕事関係の人。たびたび同人誌に登場。その昔怜央が職質受けた話のときにも出て来たと思う、各自確認してくれい。
本心を隠して周りに合わせて生きていて、何がなんだかわからなくなった、というヨシトくん。
自分のことがわからない、というのが、ラストにも続いている。
ケイティちゃんと仲良くなった怜央。ケイティちゃんて誰? という人は「バスに乗って」みたいなタイトルの話を読み返したり、この間コミティアで出した僕トモセルフ二次創作同人誌をダウンロード販売で買ってみよう! 300円で過去の僕トモ同人誌読み放題だぞ!(宣伝)
怜央が言いたいことは怜央が全部言ってるからいいとして・・・
本当の自分、っていう言い方があるけど、本当の自分ってなんだろう。
ケイティちゃんみたく、本当の自分はすごく性格が悪いし、いやなやつだと思っている人は多いと思う。
逆に、すごく善人だと思いこんでる人もいる。が、それは、主観的なもので、他人評とは必ずしもイコールにはならない。
どう考えてもコイツクソやろ、っていうような人が、ツイッターでは俺いいことした、サイコー、みたいにつぶやいてて、おいお前自分に甘すぎやろ、と思ったり。
結局、他人評ですら、誰からいつどのように観測するかによって全く違う。
主観もあてにならないし、他人もあてにならないとなると、カメレオンの悩みは混迷極まる。試しに自分の内面へディープダイビングしてみても、玉ねぎの自我のように、内部のどこにも答えとなるような核はない。
そのままの自分、そのままのキミでいて、というような、包括的概念、包括的存在としての自分、という捉え方もある。
今この瞬間の、どこからの評価でもない、ただ、存在としての自分。
自分が感じている自分、体重55kgなら、地球に対し55kgで引っ張られている自分。
テレビを見て笑っている自分、お菓子を食べている自分、泣いている自分、腹痛に身を捩る自分。
ただそれだけ、それだけの存在でいる自分、ありのままの自分。
観測によらない自分。
そういう物は確かに自分であろうし、それを自分として生きるのが一番ラクでつらくない捉え方だろう。
基本はそう思って置くのが一番いいと思う。
だが、ふとしたときに、「あれ、なんか、ごまかされてる」という思いを抱く可能性がある。
迷いを持っているときに、「迷っている自分が、今のあなたにとっての答えですよ」と高僧に教えをいただく。なるほどそうかと一旦の納得を得るのだが、となると迷いは消えず、悩み苦しみ続けることになる。
まぁ、そういうものだ、人生は常に悩み苦しみつつ生きていくものなのだが、こちとら高僧じゃないし、そういうのがいやで本当の自分として「ありのままの自分」を得たはずなのに、元も子もない。
一人でいるときの自分は、誰しも気楽で、ストレスがない状態だろう。いや、好きでしょうがない相手と会えなかったり、ママパパとはぐれてしまった子どもとかは別として。
一人でいるときの自分が好きで、この状態を維持しようとすると、一人でいるときの自分を保てる相手を探して結婚したり、友好を結ぶ必要がある。
一人でいる自分を基本とし、必要なときにコミュニケーションがとれ、不必要なときはオフにしておける相手。…………おいそれは、コミュニケーションなのか? おいそれは、人間関係なのか?
一人でいるときと誰かといるときは当然すべてが異なる。好きなときに飯も食えぬ、好きなときにくしゃみもできぬ。
だけど花を見れば美しいねと言い合えるし、疲れたら荷物をお互い持つこともできる。少なくともそういうことが、誰かと居るという状態だろう。
であるならば、本当の自分、素の自分というものを、いまだ知らないという人も少なくないのかもしれない。
例えば恋をして、初めて自分が男だった、女だったと思い知る人もいる。
例えば子を持って、初めて自分のあふれるばかりの愛情を知る人もいる。
誰かを失って、自分の乱れた心を知る人もいる。
いつも、知ったと思っても知らないことばかりだ。特にそれが、自分については。
出会いというのは、本当の自分を知ることができる機会なのだろうと思う。
ヨシトくんも言っていたが、トモダチを口説いたりはしないし、女子には女子向けにいい顔をしたりするものだ。
誰かには誰か用の自分。
そんななかで、あれ、こんな自分、サイコーじゃん、と心底思える自分が居るのだと思う。どこかに、誰かに対して。
意地悪な気持ちにもならず、素直に手助けしたいと思えたり、
一緒に何かをしたいと思えたり、
怒りを覚えたりもせず、許せたり、
際限なく笑いがこみあげてくるような、
こりゃいいや、こんな自分でずっといたい、と思えるようなときがあって、
そういうとき、ああ、自分がここにいたのか、と感じるのかもしれない。
ところで、そういう意味で、冒頭の女子はヨシトくんにめっちゃラブコールだし、
最後のページの怜央も実はそうなのだが、
それに対しヨシト氏は、
本心を隠す
という自覚もないままに
それがクセになっていて
その在り処もわからない
状態であり、
結局怜央の質問にも沈黙で返してしまう。
困ったやっちゃ。
///
しつこく言ったかいあって、いろいろ感想頂いて、本当にありがとうございます~~~
エントリーが長くなってしまったので、お返事は次の更新で、すいま千円五千円……!(でもまだ感想待ってますエヘ
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